2010年10月15日金曜日

彼はどうしているだろう


家に戻る前に下北沢で途中下車して、頭の中を整理したかった。
また彼のことを思い出してしまった。

それは数週間前に赤坂で友人と飲んでいるときだった。
自分には飲み屋にいくと時々あるのだけれど、近くの席に座っている見ず知らずの人たちに声をかけることがある。とくにアホなサラリーマンを止めたあたりから、良く起こるようになった。

この夜も近くの席に座っていたグループに声をかけてしまった。
その中でも直感で自分とおないとしくらいの一見サラリーマンみえる彼は目がねをかけて、まじめそうで穏やかそうにみえた。同僚と思える同席の仲間のリーダーなのだ。部下をつれて飲み会をひらく優しい上司なのだろう。

ほとんど何を話したのか忘れてしまったけれど、ただひとつだけ鮮明に思い出すのはとても悲しい、彼の言葉だった。彼は突然に「手塚さん、僕はね、ホームにたって電車を待っているとね、いつ飛び込んだらいいかなあと思うんことがあるんですよ。」彼はやさしい悲しみの目をして、軽く微笑んででいいのけた。息を飲み込んだだけで、僕はあまりの唐突な言葉に何も返せなかった。何か口に出したかもしれないけれど、まともな言葉が出てこなかったように思う。「死ぬなんてつまらないよ、止めなよ」そんなとりとめもないことしか言えなかったように思う。

つい去年までサラリーマンの自分もそうであったが、死にたくはないけれど、今すぐ死んだら楽になれるなあと思うことが何度もあった。脂ののった中間管理職、上司と部下からともに期待されてつらい立場、中立な立場をいくと、会社の餌食になる。特に少しでもまじめに仕事をこなすと、余計に期待されて、より頑張る構図ができあがってしまう。さらにそのがんばりが自分の首を絞める結果となる。悪循環が始まり、やがて会社の奴隷と化す。釣りバカ日誌のハマちゃんみたいには冗談でも上手くはいかない。

もっともっとで、イケイケな社会はもう終ったのだ。More & Moreの社会構造の終焉がやってきているのに。
希薄な人間関係が都会では普通だ。他人事ですんでしまうと思っていると自分もその中の一員にすぎない。自己意識の改革が必要で、もっと人と繋がる社会を作らないといけない。かつてそうであったように、お金のつながりだけではなく、心と心の無償のつながりがもっと大切な時代がこれからやってくる。そう思わずにはいられない。

最後におおえまさのりのさんの「夢見る力」からの一文を載せます。
「精神的であるということは、宗教的であるということとはちがう。それは人間と人間が、人間と母なる大地が、一つの輪となって互いの生命を敬いつつ生きることに他ならない。」

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